興味深いニュースが2つあったので紹介。
どちらも「胸」に関すること。
胸の谷間を加工
一つ目のニュース。
フロリダの高校のアルバム。
女子生徒の写真に写っている胸の谷間を、学校側が勝手に加工して見えないようにした。
(出典:CNN)
写真を加工された女子生徒は80人もいるらしい。
生徒や保護者は学校側のこの行為を、性の対象として標的にされた、性差別だ、と認識しており、不満を訴えている。
私がこのニュースを見て思ったことは、
「ここまでありのままを受け入れられなくなったのか」
ということ。
人間に限らず生命は、生まれたその瞬間から自分の身体と共にある。私たちの身体が、私たち自身で、老いて死ぬまで、身体と共にある。それがごく当たり前の、ありのままの自然だ。
そこに胸がある。
それに何の問題があるというのだろう。
どんな理由があるのか知らないが、そんな当たり前を受け入れられないなら、行きつく先は徹底的な「身体の否定」だろう。
身体という当たり前を否定する限り、私たちは幸せになれない。
それは「自分自身の否定」。つまり自己嫌悪を生む。
では生まれ持った身体の加工は悪いことなのか?
そんなことはない。
悪いのは「加工」することではなく「否定」することだ。
乳房の切除
二つ目のニュース。
トランスジェンダーの俳優エリオット・ペイジ氏が、乳房を切除した。本人が言うには、鏡の前の自分の身体を見て「これが自分だ」と感じ、乳房切除が命を救ってくれた、生まれて初めて自分の身体に安心できた、と語っている。
(出典:BBC)
トランスジェンダーの場合、自分の身体を否定するしかない宿命を背負って生きている。それはとても辛いことだろう。
ペイジ氏にとって、乳房の切除は決して「身体の否定」「自分自身の否定」ではない。その逆で、やっとペイジ氏は「身体の肯定」「自分自身の肯定」をすることができたのだ。でなければ「命を救ってくれた」と思うだろうか?
テクノロジーの目的
これら2つのニュースは対照的だ。
前者は、身体の否定、自分自身の否定の現れであり、
後者は、身体の肯定、自分自身の肯定の現れである。
前者は、写真の加工という技術(技術というほどではないが)を、否定のために用いている。このようなテクノロジーの利用は、誰かを傷つけ、そして自分も傷つける。
後者は、乳房の切除という技術を、肯定のために用いている。このようなテクノロジーの利用は、誰かを救い、そして自分も救われる。
テクノロジーというものは目的次第だ。
人類が培ってきたテクノロジーは、自己の肯定のために利用されるべきであり、これからのテクノロジーの発展もそれを目的とするべきだ。
参考
(トップ画像:CNN)