理論

変化の時代(2)

前回の記事では、「変化」という事物は視点によって量的変化と質的変化の両面を持つこと、そしてその両面を認識することで「社会の変化」も冷静に捉えることができることを説明しました。

今回は、量的変化がある段階で質的変化に変わるという「量質転化」について説明し、それをもとに「資本主義社会の終焉」の意味を考えていきます。

量質転化

量質転化とは、量的変化から質的変化への転化のことで、先に量的変化が漸次的に(だんだんと)起こり、ある段階でその漸次性が中断され質的変化へと転化し、またその質的変化が新たに量的変化を起こすという相互作用を意味しています。弁証法の哲学において量質転化は、自然・社会・精神を貫く一つの法則として考えられています。以下に例を挙げました。

<自然における量質転化>
●水の温度が変化するのは量的変化。水の温度がある段階を超えて、氷や水蒸気に変化するのが質的変化。水の温度の変化という量的変化が、水の状態の変化という質的変化に転化した。また水の状態が変化するのに熱エネルギーを使っており、温度の変化の仕方にも影響するので、質的変化が量的変化に相互作用した。
●黒鉛(グラファイト)にかかる温度と圧力の変化が量的変化。温度と圧力がある段階を超えると、黒鉛を構成するの炭素原子同士の結合方法が変化し、ダイヤモンドに変化するのが質的変化。温度や圧力という量的変化が、炭素原子の結合方法の変化という質的変化に転化した。また結合方法の変化にエネルギーを使っており、温度や圧力の変化の仕方にも影響するので、質的変化が量的変化に相互作用した。

<社会における量質転化>
●インターネットの発明とその利用者数が増えるのは量的変化。今までのテレビ・新聞といった特定のメディアから情報を得る方法から、大多数の人がインターネットで自由に情報を得て、自由に発信するようになる変化が質的変化。ある技術の普及という量的変化が、情報の民主化・メディアの多様化という質的変化に転化した。またこの質的変化により、インターネットを用いた新しいサービスが増えたり、データの通信量が増加したりという量的変化への相互作用が起きる。

<精神における量質転化>
●自分の将来を想像するとき、自分の理想像や憧れている人と重ねる事で、脳内に現実とは異なる観念的な自分が作られるのが量的変化。これが繰り返される事で、現実の自分がその観念的な自分の思想に近付いていく事が質的変化。観念的な自分が作られるという量的変化が、現実の自分の思想を変化させるという質的変化に転移した。またこの質的変化により、さらに観念的な自分も変化していくので、質的変化が量的変化に相互作用した。

「資本主義の終焉」の意味するところは?

近頃「資本主義の終焉」「ポスト資本主義」など、現代の資本主義という社会の在り方を否定する言葉を、テレビ、新聞、書籍などで聞く機会が増えたと感じます。そのような風潮が広がり始めているのはなぜでしょうか。社会の量的変化と質的変化の観点から考えてみましょう。

以前の記事「社会発展の法則性」で、人間と社会の関係は、相互浸透によって影響を及ぼし合い、否定の否定によって社会が発展していく事を説明しました。また、現在はこの過渡的な状態であるとも述べました。この過渡的な状態こそ、今までの量的変化が質的変化に転化、つまり量質転化しようとしている状態です。下図で言うと、人間の活動(点線の円)の変化が量的変化で、社会の在り方(実線の円)の変化が質的変化です。今、この量質転化が起きようとしています。

今までは資本主義社会の中(実線の円)で、人間は自由に活動(点線の円)してきました。産業革命、IT革命というものは確かに私たちの生活や考え方を劇的に変えましたが、それはあくまでも資本主義社会の中での話で、革命と言えど、それは量的変化でした。今、変化しなければならないのは、資本主義社会そのものです。何故なら資本主義社会の中では、必ず自然破壊と貧困が生まれ、決して無くなることはなく、最終的には社会そのものの持続が困難になります。今まで資本主義社会が続いてきたのは、そういった問題を脇に置いてきたからです。そして発展を続けた結果、自然破壊による地球温暖化や水問題、貧困によるテロや感染症など、国を跨いだ人類の問題になってきました。SDGsの活動が注目され始めたのは、そういった問題が今や無視できない状況になってきているからです。

この意味で、現代は資本主義社会の中での量的変化に限界がきていると表現できるでしょう。それを克服するために資本主義社会という社会形態そのものの質的変化が必要とされているということです。これが「資本主義の終焉」の意味するところです。

ただし、資本主義の終焉だからといって「大混乱が起こる!」「何もかも無駄になる!」というように冷静さを失う必要はありません。こういった混乱は資本主義社会を普遍なものと捉えているから起こります。社会の在り方が普遍ではなく変化してきたのは歴史が証明しています。つまり元から、社会の在り方は変化するものであり、資本主義社会というのは「社会の在り方にとって」は特殊なのです。言葉を変えると、資本主義社会から別の社会への変化は、「人間の考え方にとって」は質的変化ですが、「社会の在り方にとって」は量的変化に過ぎないということです。